死の具体性/SHOAH

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SHOAH ショア Claude Lanzmann
567分! 1987年 フランス カラー
ベルリン映画祭から続いている、「加害の歴史を映像で直視する」マイブーム。昔、途中でギブアップした苦い記憶のあるSHOAH、9時間27分を再見した。今回は、一睡もせず、またSabibor 1973(SHOAHの派生作品、実はこれも傑作)との関連も反芻しながら見直すことができ、イメフォで一日費やした甲斐があった。
徹底した当事者たちの証言、それは被害者も加害者も傍観者も考えうるあらゆく関係者にインタビューし、その言質と大量殺戮の現場のいま=空虚な実景ショットをモンタージュすることで、見えない、再現することなど不可能な、あの悲劇を見るものの想像力へ強烈に照射する。それがランズマンが、9時間半ものマラソン鑑賞による肉体的精神的圧力に込めた、野心である。
アウシュビッツから奇跡的に生き残った床屋が、現在(撮影時の1980年頃)のイスラエルにある自らの店舗で客の髪を切りながら、「プロの床屋」としてガス室の真横で死に行くだけの同胞たちを1人2分で散髪しなければならなかった過去を語る。職業柄、弁が立つのだろう。その時の収容所の様子を、身振り手振りを交えながら、昨日の事のように瑞々しい言葉で話す彼が、ある瞬間、ハサミを持つ手が止まり沈黙する。涙が止めどもなく溢れてくる。彼と同じ町の出身の親友の妻と子どもが裸で、脱衣場に入ってきたときのことだった。彼の親友は床屋でその同じ部屋で、髪を切っていた。妻と子どもを抱きしめながら、できるだけ最後の時間を、一秒でも長く先延ばしにすることが、彼に唯一出来ることだった。叫び出そうものなら、その場でSSに全員射殺されることが分かりきっていた、という極度の恐怖下での家族の再会。その震える緊張と絶望が伝わってくる。人類史上最悪の殺戮は、その言葉と涙を流しながら語る人間の顔で全てが伝わってしまう。この抑制された語り口こそが強力だった。
ランズマンは、スピルバーグの「シンドラーのリスト」に対し、ホロコーストは、フィクションでは描けない、描いてはいけない、と批判した。あの絶対的な恐怖と絶望は、再現不可能であり、人間の想像力の中でのみ、その恐怖をかろうじて植え付けることができる、と。実際この「SHOAH」は、話の水を向けるだけで嗚咽を漏らし始める者、ひたすら沈黙する者、「人間の持ついかなる言葉でも表現できない」という者などが立て続けに登場し、どんなフィクションのホラーをも凌駕する恐怖体験として、見るものの体力と体温を奪ってゆく。安易な再現映像でなく、体験者のリアクションをひたすら凝視することで、先を立たれた彼らの絶望を素肌で感じ、雪降り積もるポーランドの荒野を見つめながら寒気を感じ続ける、極めて身体的な恐怖の時間なのである。
実際、この当事者の言質によるリアリティは、恐ろしいほど機能している。
第二部の最後、寒々しいポーランドの荒野の映像とともに、ヘウムノ収容所で使われたガス・トラック(排ガスを装甲した荷台の密室に送り、その中に詰め込んだ囚人を80人ばかり一酸化炭素中毒に貶め、焼却炉で燃やしてしまうという殺戮作戦に用いられた)の改良について、ドイツ軍とトラック会社・SAURER社で検討された内部資料が朗読される。その改良点とは、3つ:1. 焼却炉までの道中で、装甲車の“積載物”(収容所に送られたユダヤ人のこと)を全て“処理”(殺すこと)するためには、荷台の容積を少し小さくし、一回で運ぶ“積載物”の“個数“(人数のこと)を少し減らす。その方が、”処理“しきれずに、焼却炉でドイツ兵により”個別処理“(銃での殺人)をする手間が省け、ガスをしっかり充満させ、確実に”処理“を遂行でき、効率が上がる。2. 荷台の内部に照明をつけることが望ましい。今は、照明がないので、荷台のドアを締めるときになど、”積載物”が後部に殺到して手間取る。暗闇は恐怖をあおるので、内部に照明がある方がよい。3.“処理”後、“積載物“より様々な液体が出る。それを効率よく清掃し、次の”処理“に供える為、荷台の真ん中に排水溝を設けるべき。
 という3点だった。ユダヤ人にいかに最後の殺戮について知らせずに、スムーズにガス室へ移動させ、“最終解決”(ヒトラー政権が使ったユダヤ人殲滅を指す語彙)を日に何回転も可能としたのか。ドイツらしく、効率性がとことん突き詰められてゆく様が語られる。アウシュビッツのガス室は、一回3000人。トレブリンカ収容所は一日12000〜15000人を“処理”等、具体的な数字による殺戮のメカニズムが暴かれてゆく様が、言葉の真の意味において、ぞっとさせる。1日かけ9時間半の映像を見る過程で、私の体温はどんどん低下し、上映が終わったころには、体調は最悪であった。
これは、まさにディテールの映画であり、ホロコースト600万人の悲劇を描いた、などと括る事はできない。実際、人間が一人一人死んでいったのだという“死の具体性“に最大限の映画的(音声+映像+時間)リソースを注ぎ込み、”要約されること“を拒み続けたのが、この9時間半に及ぶ記録映像なのだと言える。見終えて、はたと気づいたのだが、この映画では「ホロコースト」という言葉がほとんど出てこない。(前半であったかも知れぬが、途中気づきだして注意してみた後半5時間には出ていなかった。出たとしても1、2回だろう。)「大量殺戮」を一言でまとめあげてしまうその語彙は、”死の具体性“とは真逆の意図があるからだろう。
この人類の映像遺産をつくり上げたランズマン監督の強烈な執念を、その長さとディテールに感じずにはおれない。当初、350時間の撮影したフッテージを9時間半に編集したと聞き、「4時間ほどに圧縮・編集することも可能では?」などと思いながら、上映に向き合った。しかし、全編を見て発見したのは、“死の具体性”の力である。前代未聞の悲劇を、十全に後世に伝えるには、この尺の持続が必要である、と私は納得した。
最後に、ポーランドの荒野をゆく貨物列車のショットがとてつもなく美しかったことを付記しておきたい。
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Atsushi Funahashi 東京、谷中に住む映画作家。「道頓堀よ、泣かせてくれ! Documentary of NMB48(公開中)」「桜並木の満開の下に」「フタバから遠く離れて」「谷中暮色」「ビッグ・リバー 」(2006、主演オダギリジョー)「echoes」(2001)を監督。2007年9月に10年住んだニューヨークから、日本へ帰国。本人も解らずのまま、谷根千と呼ばれる下町に惚れ込み、住むようになった。

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