Straub Huillet 樹木のフィルム

umiliati

放蕩息子の帰還/辱められた人々
Il ritorno del figlio prodigo/ Umiliati
2003年(64分)
撮影/レナート・ベルタ
『労働者たち、農民たち』の挿話を再利用した『放蕩息子の帰還』と、その後日譚『辱められた人々』の二部構成。後者では、山中の共同体に地主代行や元パルチザンらが訪れ、土地所有権を侵害する違法性、自給自足経済の割りの悪さを説き、共同体を崩壊させる。
(アテネ・フランセのチラシより)
森の中での対話劇。「労働者たち、農民たち」「あの彼らの出会い」「アルテミスの膝」の系譜。全くアクションを欠いた人物が棒立ちのまま、ぶっきらぼうに台詞を朗読し、地主代行と農民共同体、搾取する側と搾取される側を交互にモンタージュしてゆく。すると、そこに不思議とコンフリクトが立ち上がる。言葉と言葉の衝突、ショットとショットのぶつかり合いが、人間の物質的実存と干渉し合い、対立という質感を浮上させる。農民たちは道具も何も持たず、住処も示されないなか、地主側が銃だけは持っている、そのちょっと露わとなる「権力」の持つリアリティ。「階級社会」の「アメリカ」同様、Straub-Huillet独自の亜空間。
ラスト、ベッドに身を投げ出した地主(名はヴェントゥーラ!コスタの「コロッサル・ユース」はここから由来しているのか?)は「あいつら(農民たち)に何を言っても無駄だ」とあっさり切り捨ててしまう。地主の女は玄関先に腰を下ろし「そうね」とこれもあっさり納得。キャメラはがくっと地に落ちるようにパンダウンし、女の拳と足首、石の床のみを残し、これがラストショットとなる。このパンダウンは衝撃!
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ヨーロッパ2005年、10月27日
Europa 2005 27 octobre
2006年(12分)※ビデオ作品
ストローブ=ユイレが初めてDVを用いたシネトラクト。イタリア国営放送の委嘱により2006年春に撮られた。警察に追われ変電所に隠れていた15歳と17歳の移民少年が感電死したクリシー=ス=ボワの事故現場を撮影する。この事故が各地の暴動のきっかけとなった。
(アテネ・フランセのチラシより)
おそらく桜だろうか桃色の花をつけた樹木の下に、Stop! Ne Risque Pas Ta Vie (やめろ!命を危めるな)との抗議文の落書きを掲げる壁をキャメラが捉え、しだいにゆっくりと右方向へパンを開始する。徐々に視野が開けてくると、路上駐車された白い自動車や、発電所らしき建物が鉄門の向こうに姿を現す。(正確には記憶していないが)「電気は人よりも強い」というまた異なる抗議メッセージが鉄門にも掲げられており、ここがその静寂さにも拘わらず、なにやら物々しい惨事であったことが想起される。キャメラはおよそ150度ほどパンし、背後にある変電所のビルディングを捉えるとカット。今度は逆に左方向へパンし、壁の向こうに立つ変電機のギザギザアンテナが現れ、「ガス室、電気イス」というキャプション。この2つのパンショットの連鎖を一つの挿話として、それがなんと5度も繰り返される。全く同じロケーションで同じ画枠なのだが、明らかに違う時間に撮影されており、光の具合、犬の鳴き声などの音声、パンのスピード、カットのタイミングも微妙に変化。このずれの間に失われた時間とその重みが生起してくる。
それにしても、これを許容できるイタリア国営放送も度量が広い。某国の国営放送の凡庸さとは、まるで違う。
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アルテミスの膝
Il Ginocchio di Artemide/Le Genou d’Artemide
2007年(26分)
監督:Jean=Marie Straub (のみ)
撮影/レナート・ベルタ
『レウコとの対話』の1篇、エンデュミオンと見知らぬ者の対話「野獣」の映画化。監督名義はストローブ単独である。パヴェーゼ生誕100周年の 2008年に公開予定だったが、2009年に延期された。出演は『あの彼らの出会い』のダリオ・マルコンチーニとアンドレア・バッチ。
(アテネ・フランセのチラシより)
レナート・ベルタの撮影が出色の出来。
長い時間延々と朗読しているのに、全てのショットで光が繋がっている。木漏れ日など変化の早い撮影環境で、ダリオ・マルコンチーニとアンドレア・バッチの背後に、すきっと映える緑や、湿った匂いがしそうな日陰の土壌を美しく捉えている。森林の中での対話(内容は殆ど忘れてしまった!)のあと、木漏れ陽溢れる森の低い茂みのパンが連続して示される。陽が当たり殆ど白に飛んでしまった葉と茂みの陰とを一つのショットに収め、ビデオに比べラティチュードが圧倒的に大きいフィルムの特性を存分に見せつける。
いつも胸を打たれるのは、場所の空気を余すところなく受け止める決定的な固定ショット(それは「シチリア!」にも数多く見られ、ペドロ・コスタが継承している)がガツンと来て、いいなぁと思って眺めてると、突如のっそりとキャメラがパンをはじめ、水平方向に視界が開けてゆく。この運動感はStraub-Huillet 独特の視覚的持続だと思う。「早すぎる、遅すぎる」「ジャン・ブリカールの道程」「放蕩息子の帰還」などにも見られ、キャメラはひたすら右へ左へ往復し、我々の視界と記憶を揺さぶるのだ。
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ジャン・ブリカールの道程
Itineraire de Jean Bricard
2008年(40分)
撮影/ウィリアム・ルプシャンスキ
ジャン・ブリカールは1932年にロワール河近辺で生まれ、その地域で暮らし、92年に引退するまでヴェルト島の砂質採取事業の責任者だった。ドイツ占領期などの過去を振り返る彼の談話は、1994年2月24日に社会学者ジャン=イヴ・プチトーが録音したものである。
(アテネ・フランセのチラシより)
待ちこがれていたStraub-Huillet の最新作。
ロワール河を下る船上におかれたキャメラが、左方向に流れてゆくコトン島の木々たちをと捉える。美しすぎるモノクローム・フィルムは、延々と続く沿岸地帯の枯れ木たちの枝と枝の間に、グレーの魅力的な質感を帯びさせ、空に向かってぼんやりと手を挙げているかのようなその形は、まるで群衆がわらわらと両手を挙げ立ち尽くしているかのような、ただごとではない空気を漂わせる。一様に葉は落ちているが、柳やトネリコの樹木は、それぞれが特徴的な「手相」をしており、ただ無闇に天に向かって枝を生い茂らせるいかにもフランス田園風景ってな広葉樹や、太い幹がある点ではたと成長をやめ、そこから赤子の毛のようにフワフワと小さな枝のみを真上に伸ばしてゆくものもある。装いも立ち姿も異なるこれら木々を示すキャメラは、コトン島の岬をぐるりと回り、その後、砂質採取事業の責任者だったというジャン・ブリカールの生家を映すだろう。河と泥と裸の木々たちしかないようなこの田舎町に立つ家々のなんと孤独なことか。漆黒の豊かさが印象に残るショットに宿るのは、石の家々も、時折通過するシトロエンも、半分水面下に浸かってしまったカフェの「竈」跡も、人間が残したどんな痕跡よりも、そこに聳え立つ木々たちが地面に深く根ざしている歴史の物質性だ。今は工場用水とヘドロが流れ込み汚染が酷いというロワール河の水を、長い歳月コトン島の地へ吸い上げてきたのはこの木々たちであり、ドイツ軍に処刑されたブリカール氏の父をはじめとする人間たちの諸行などは取るに足らないことである、と言っているかのようだ。これは表情豊かな樹木のフィルムとして記憶されるべきではないか。

Atsushi Funahashi 東京、谷中に住む映画作家。「道頓堀よ、泣かせてくれ! Documentary of NMB48(公開中)」「桜並木の満開の下に」「フタバから遠く離れて」「谷中暮色」「ビッグ・リバー 」(2006、主演オダギリジョー)「echoes」(2001)を監督。2007年9月に10年住んだニューヨークから、日本へ帰国。本人も解らずのまま、谷根千と呼ばれる下町に惚れ込み、住むようになった。

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