清原惟監督 2018年、80分
灰色の浜辺を歩く二人の中学生の少女。
曇った寒空の下、祭りが行われるというと遠い対岸の盛り場を眺めつつ、私たちにはどうせ縁もない場所と嘆息する二人の少女の佇まいを、しっとりと受け止めるショットを目にした時、傑作が生まれる予兆をびしびし感じた。一つずつのショットに何か、映画を発見してゆこうという瑞々しい好奇心に漲っており、見ている方も静かなフィックッスショットがベースであるにも関わらず、徐々に高まる興奮を抑えられない。
一つの家の空間で、パラレルワールドの如く、二つの異なる親密さの物語が展開する。一方は記憶を失った女と何やら怪しい政治活動に関わっている独り者の女の儚い友情。もう一方は、父を失い、母と二人で質素な暮らしを続ける前述の中学生の少女の日常。何がどうなるという、はっきりとした物語展開をわざと空白にし、第三の方向へと映画の時空をねじ曲げてゆこう作家の野心が突出した作品と言えようか。
とはいえ、コンセプチュアルなだけの実験作ではなく、記憶喪失の女のよるべもない寂寥と無力感。お誕生日会を開く少女と大人たちの間に流れる、暗い反抗心。母親との何気ない会話に立ちこめる少女の違和感、など非常に繊細なところを突いており、こちらも美しいショットの連鎖に身を任せるだけでなく、どこか針のような緊張感を持って身構えなければならぬ作品であった。凄まじい処女作。