LE LION EST MORT CE SOIR.
2017年 諏訪敦彦監督
映画を撮ることは、偶然を必然とする作業である。
なぜその映画を撮るのかという理由は、作品ごとに様々であり、プロデューサーがたまたま運用できる資金を持ち合わせていたり、売れ線の原作小説の映画化ライツを獲得できたりなど現実的な要因もあれば、作家がある俳優に出会ったり、ある題材に遭遇することでそこから、物語が紡ぎだされたりする純作家的プロセスもあるだろうし、またさらに、映画作家個人の人間関係や映画外の活動、つまり作家の人生そのものが起因し、映画を「撮らざるをえない」状況に陥ることさえもある。
いずれにせよ、どんな状況から映画が立ち起こったかは関係なく、作家たちはそれがさも「出来るべくして出来た」完成品としての映画に仕立てる作業を一手に請け負う。見る人間は、その作家がどんな邂逅を巡りめぐってきたのかは知る由もなく、スクリーンに照射された映画を、一つの物語、一つの世界として受け入れるからである。
「ライオンは今夜死ぬ」は、作家諏訪敦彦を取り巻く様々な偶然がキャメラによって繋ぎ止められ、見たことのないような出逢い、化学反応を繰り返してゆく様が、ドキュメンタリーのごとく記録され、それがあろうことか作品として成立してしまうという、撮影のプロセス自身が映画の背骨になってしまった奇跡のような作品といえる。
大学や「こども映画教室」で教育者として映画を背負ってきたこと、ジャン=ピエール・レオーに出逢い、彼の存在自体が生きる映画史に感じ入ってしまったこと、リュミエール兄弟が撮影したラ・シオタ駅をはじめとする南仏の光の映画史的蓄積に刺激を受けたことなど、様々な偶然をあたかも至極当然であったような身振りで一つ一つ繋いでゆく。諏訪のその手つきが映画を生きることそのものになっている。換言すれば、人生の細部の豊かさがこぼれ落ち、すり抜けてしまう前に受け止める網の目こそ、映画であるとも言えよう。
特にジャン=ピエール・レオーの言葉や歌(それは諏訪でなく、俳優自身のものであるそうだ)に啓発され、南仏で撮影を続けている映画内映画のクルーや、これもまた映画内映画教室の子どもたちが反応してゆくさまが素晴らしい。かつては映画の俳優だったのかと子どもに尋ねられ、かつては良い映画に出逢った、それに今も俳優だ、と答えるジャン=ピエール・レオーの、眉をうじうじと動かす目つき、口を尖らせるような口ぶりを目にする我々は、そこにヌーヴェルバーグの記憶を読み取りつつ、映画史のドキュメンタリーが眼前でまざまざと進行していることに驚く。ジャン=ピエール・レオーを描く上で、カウリスマキも、ツァイミンリャンも挑戦し得なかったアプローチを選んだ、諏訪敦彦の野心は凄まじい。
(おぼろげな記憶で書くが)子どもたちの撮った映画内映画を見ながら、「映画をしかめっ面で撮る人間も多いが、これには映画をつくる喜びがある」という時のレオーの顔、子どもたちの顔は、自然という語彙がもはや不自然に思えてくるような驚くべき自然さを湛えており、それこそ「偶然」が、映画としての「必然」になった時間であった。奇跡というしかない時間を生み出した諏訪の演出は、「クローズアップ」を撮ってしまったキアロスタミのように、人生と映画を出来るかぎり接近させる臨界点を見出だしている。