大津幸四郎・鈴木一誌さんとの対話@渋谷オーディトリウム

医学としての水俣病.jpg

「医学としての水俣病」(土本典昭監督、1975年)を再見して、思わず「不知火海」を見たくなった。当事者達の証言・資料、病理・病像、疫学・臨床など諸々の角度から水俣を掘り下げて、初めて大津さんの言う「オープンな画」としての「不知火海」を見ると、その痛ましい美しさに涙が出てくる。土本・大津の知性に根ざした執念は、高度成長期の日本の本質を貫き通した。現場の被害状況をとことん無視し続ける官僚体制は、根深い罪。土本はこう予言していた「絶望的なのは、水俣病に対してこれだけの被害を起こしてきた国・県とか科学者とか行政が、依然として被害の全貌を認めないことです。この犯罪的な体質が直らない限り、同様の事件が日本に起きた場合はまた同じパターンが繰り返されるんじゃないかという危惧を感じます。」

Atsushi Funahashi 東京、谷中に住む映画作家。「道頓堀よ、泣かせてくれ! Documentary of NMB48(公開中)」「桜並木の満開の下に」「フタバから遠く離れて」「谷中暮色」「ビッグ・リバー 」(2006、主演オダギリジョー)「echoes」(2001)を監督。2007年9月に10年住んだニューヨークから、日本へ帰国。本人も解らずのまま、谷根千と呼ばれる下町に惚れ込み、住むようになった。

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