日本の抱える自己矛盾:腹切りの精神性

鳩山首相が辞任したが、NY Times の報道でも揶揄されているように、日本は4年で首相が4回替わっている。
総選挙して政権交代しようが、海外からおおざっぱに見れば、日本はころころ最高統治者のクビが変わり続ける混迷の国と映るようだ。
ここ近年首相の資質を疑うような人間が、その座に着いてしまったという不幸も無視できないが、それ以上に明らかになってきているのが、誰がなろうが内閣総理大臣という職は、公約・責任にがんじがらめにされ、非難を浴び、火だるまになって討ち死にせざるをえない、そんな状況になっているということ。これはシステムの問題である。
マスコミのぶら下がり質問が、一日に2回も3回もあり、それを憶測・先読みによる報道で、拡大喧伝され、しまいには前の発言と食い違う、「ブレている」と矛盾を突かれ、公言したことの「責任を取れ」とコーナーに追い詰められ、世論も反応、支持率は急降下、「こんな悪い党のイメージでは、改革は出来ない」と辞職、クビのすげ替えになる。
このパターンの元凶になっているのは、実は大衆であるということを、誰もが気づいているがマスコミは言わない。
「自分の言ったことにはねぇ、ちゃんと守って欲しいですよねぇ」「ころころ言ってることが変わってる感じ~」
という同様のインタビューを何度聞いただろうか。この程度の印象論に左右され、それを記事の中心に据えてしまうマスコミの見識も疑うが、実際そうなってしまったものは仕方ない。こんな生理的な反応の集積として首相を辞任に追い込み、政府の生産性を落としてゆく・・・これがいま日本が抱える自己矛盾だ。
Obamaは、医療保険制度改革の法案を通した後、翌日アフガニスタンでカルザイと造兵・撤兵のプランについて話し合い、翌日(もしくはその翌日かな)欧州でNPTのための協議・核拡散のための声明を発表していた。沢山の部下に支えられ、いくつもの議題を着々と同時並行にこなしているシステムが見える仕事ぶりだが、対して鳩山首相が5月にやっていたのは、普天間基地問題だけではないか?(場当たり的に口蹄疫への対応はあったが。)一国の首相は、沢山課題を抱えており、A,B,C,D,E,F,G,H の案件を同時にこなすようなシステムを内閣、政府全体が作ってゆくべきであり、それを内外に風通しよく見えるようにすべきだろう。普天間だけでなく、郵政改革、消費者法改定、事業仕分けなど、同時に進めているのだ、普天間ばかりが重要な問題ではない、と切り捨てるパフォーマンスが必要で、それを外に向けて明確にプレゼンしてゆく演出(これは首相の補佐室が考えるべき)が大切なのだ。こんなにいくつもの課題を進めているだから、1年やそこらでクビをすげ替えるわけにはゆかない、とマスコミ=大衆心理も落ち着いて行くだろう。
追い詰められて責任を問われ、辞任へ追い込まれるのは、切腹そのもの。腹を切れとまでは言わないものの、責任を全うできないとき進退に白黒の潔さが求められるのは武士道の精神で、潔くなくたっていいじゃん。20も30もある案件の中で1つ出来ないぐらいで、辞職しているようでは首相の仕事をまっとう出来ない、4年間は最低必要だ、という論理を展開する人間はいないものか?
それはマスコミの生理的オーバーリアクションを抑制する毒にもなりうると思う。

Atsushi Funahashi 東京、谷中に住む映画作家。「道頓堀よ、泣かせてくれ! Documentary of NMB48(公開中)」「桜並木の満開の下に」「フタバから遠く離れて」「谷中暮色」「ビッグ・リバー 」(2006、主演オダギリジョー)「echoes」(2001)を監督。2007年9月に10年住んだニューヨークから、日本へ帰国。本人も解らずのまま、谷根千と呼ばれる下町に惚れ込み、住むようになった。

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